Extra Draw 前編
少女は体を激しく震わせていた。
南向きの日当たりのいい部屋。煌々と太陽が照り付ける。窓の外には汗を拭きながら歩くサラリーマン。遠くには揺らめくかげろう。
そんな景色を視野の外に、片腕で体を抱える少女がいた。そのもう一方で必死に部屋中のものをひっくり返している。
積もった雑誌が崩れた。
CDケースがビデオテープに当たって欠けた。
倒れた空き缶から琥珀色の液体が流れていく。
しばらくして彼女の動きが止まった。見つけたのは直方体の青い箱。両手でそれを掴む。引きちぎるようにして蓋を開けた。
震える指で中からカードの束を取り出す。
少女は六十枚のカードの束――デッキをヒンドゥーでシャッフルした。
たった二回だけのシャッフル。
それを床に置き、ひとつ大きい深呼吸。揺れる体を抑えつけてカードを七枚引くと、もう止まらなかった。音が聞こえてきそうな速度でカードを見た。
一枚、二枚、三枚とめくっていくごとに彼女の顔色が変わってゆく。四枚目、五枚目、六枚目とめくっていき少女の表情は絶望のそれに近くなる。
少女の目に涙が溜まっていた。視線の先には七枚目のカード。それを何かにすがりつくようにして見つめていた。
最後のカードをめくる指が震えているのは、寒気ばかりが理由ではないだろう。
そして、七枚目をめくった。
そのカードには橙の色。コストのアイコンは無し。
少女は目を血走らせてそれを「ゴミ箱」へ送った。デッキに手をかけ、一枚カードをドロー。
その瞬間悪寒が消え、震えが収まった。
頭に光が射したような気分。体が軽くなり、寒々としていた部屋が急激に温度を取り戻していく。
目に入る景色が輝いていた。この世のすべてが素晴らしい。自然にそんなことを考えることができる。
少女は何もかも忘れ、その恍惚感に酔いしれた。 たとえ、それが再び来る痛みの前置きでしかないとわかっていながら、彼女は一時訪れる快楽に溺れていった――。
§
LF始まって以来より、ドローはゲームの根幹にありながらもその性質が故に忌み嫌われてきた。
ドローに傾倒したものは例外なくその身を崩す。 カードをより多くドローするその快感。それは一部の若者達の間で熱狂を持って受け入れられた。 0.9βの古来より降霊術はおろか記憶喪失や心機一転に魅せられたものたちは少なくなく、ドローそのものを求めるようになっていた。
そして2.00βの発表。そこに現れた多くの、大抵が使いづらいそのドローカードたちは、ドローによるトリップの快感をいや増した。扱いづらいからこそ成功した時の喜びは降霊術などの比べ物になるものではない。
一部の地下での楽しみは、次第にそれに惹かれた若者達の間に広まり、いつしか街はドロー中毒者であふれ返るようになっていく。無気力で退廃的なせつなの快楽を求める人間が、街中を蠢くようになった。
事態を重く見た政府はここに至りドロー禁止令を発布。エントリー時以外のドローをすべて禁止とした。
当然それに猛反発する若者達はいたる所でデモを起こし、抗議活動を繰り広げたが、政府は断固として禁止の姿勢を崩さず、機動隊をもってこれを徹底的に阻止。多くの死傷者を出した。
そして年月が流れ、今では街中にドロー中毒者の影は無い。
だが、一度根付いたものがそう簡単に消えることは無い。今でも裏路地では非合法であるが故の高価さをもって、人知れず取引が交わされていた。
§
恭治は目の前の乱交を冷たい目で見ていた。積まれたダンボールに座ってぼんやりと前を見つめる。横には剥かれた大量の1.03。窓の外には青い月。
視線の先では中毒で前後もわからなくなった女達に、自称教育役の男達が覆い被さっている。
鉄筋で造られた大きな倉庫。冬は空気を凍てつかせ、夏は熱を閉じ込める。下卑た男達の放つ熱気が真夏の倉庫とあいまって、さながら蒸し風呂のようだ。体液の混ざった匂いが恭治の気分をより不快なものとしている。鉄格子越しに窓から漂う申し訳程度の潮の香りだけが、ほんの少しだけ気持ちをほぐしてくれていた。
「あぁー、うーぁー」
突然、足に何かが触れた。
急な感覚に体をすくませる。観れば恭治の足に女がすがり付いていた。
血走らせた目を見開き体に擦りついてくる姿は人の形をした何か。それが頭の中の映像と重なって、男は首を振るった。
女を引き剥がして乱痴気騒ぎの中心へ顔をやる。
「木島さん、こいつドローが切れたみたいですよ」
「あー? またか、めんどくせぇな。適当に二十枚ぐらいぶち込んどけ」
木島は別の女を弄りながら恭治にデッキをケースごと放り投げた。
自分の手に収まった六十枚のカード。傍らのストレージボックスから降霊術の束を取り出し、その中のカードと交換していく。
出来上がったのは降霊術でいびつに歪んだカードの塊。それを傍らで物欲しそうに見つめる女にわたしてやった。
女は嬉々として受け取り、七枚カードを引く。そして降霊術をゴミ箱へ。二枚ドロー。またゴミ箱へ。二枚ドロー。延々と繰り返されるリズム。壊れたレコードのようなリフレイン。デッキが半分ぐらいになったところでようやく動きが止まった。
完全に頭に回ってきたようだ。恍惚として頭上の何も無い空間を見つめている。
恭治は天井を見上げ放心状態の女を見つめてみる。小さな口、大きく垂れがちの目。何処にでもいる平凡な顔立ち。何処となく似ていると思えるのは深い後悔の念からなのか。
そっと頬に手を伸ばした。女は陶然としていてそれには気づかない。触れるとドローにやられてかさかさになった肌の感触と共に、彼女の温度が伝わってきた。
一年前に感じることができなかったぬくもりを思い出した。
「混ざらないのか?」
驚いて顔を上げた。いつのまにか恭治のすぐそばに男が近づいてきていた。
「ええ、まあ」
急いで女から手を離すと、ちらりと目をやりってから短く答えた。慌てて次の言葉を捜す。
「楠木さんこそ」
「まあな。俺の柄じゃない」
そう言って微笑むと、楠木は恭治の隣に腰を下し煙草に火をつけた。大きく煙を吸い込みさも旨そうに吐き出す。
恭治は男を見つめた。
年のころは四十を少し超えたあたりか。長年この世界にいるという話だがうだつがあがらずいつでも下っ端のチンピラどまり。先月から今まで上にいた幹部が死んだため、木島の下で雑務をこなすようになった。その時も現場に居合わせながら何も出来なかったとの噂だ。何もできない役立たず。それが大方の楠木の評価だった。
楠木はあごの不精ひげを撫で回しながら、恭治と同じようにぼおっと目の前の狂宴を眺めている。なんとなく間がもたなくなって恭治は口を開いた。
「楠木さんはやらないんですね」
「ん?」
「ドロー。こんなとこいてタバコなんて吸うの、楠木さんぐらいですよ」
「ああ、まあ、な」
楠木は笑みを浮かべてたまま返した。先ほどとは違う苦いような微笑。恭治はそれに自分と同じ匂いを感じた。
「楠木さ……」
「ただ、俺だってやらないわけじゃない」
恭治が何か言おうとするのを遮って、楠木は懐から四枚の降霊術を取り出した。
「今はそんな気分じゃない、それだけさ」
少しそれを撫でてからまた懐にしまった。タバコの煙が口から伸びてゆく。楠木はその煙の先を見つめていた。
「ようし、手前ら、そろそろ行くぞ!」
しばらくして、行為を終えた木島がベルトを締めながら声を張り上げた。周りの人間があわただしく後始末をはじめている。
「やっと終わりか」
楠木はタバコを捨て足でもみ消すとゆっくりと立ち上がった。
「さて、後始末の手伝いぐらいはしておかないとな」
恭治に微笑みかけると、動き回る男達の輪に加わろうと歩いていく。恭治は慌ててその後に付いていった。
十分ほどで乱痴騒ぎの跡は消え、ただの倉庫に戻った。
「いいか、明日はブツの取引だ。女どもが逃げないようにちゃんと見張ってろよ」
恭治を含めた見張り役の全員が「はい!」と声をそろえて返答した。
木島は満足そうにうなずくと部下を連れて入り口のシャッターの前に立った。うちのひとりがボタンを操作してシャッターを開ける。
音を立てせり上がっていくシャッター。
その後ろ、誰もいないはずの深夜の埠頭。
そこに男たちの姿があった。
一斉に場が色めき立つ。その場の全員が胸ポケットに手をかけた。
だが、木島は一瞬だけ眉をひそめたあと、片手を上げてそれを制した。
「なんだ。新庄さんとこの若いのじゃねえか。取引は明日のはずだ……がっ!」
前のめりに倒れる木島。恭治の目にそれはストップモーションで見えた。
男の手に握られているのはデッキ。
それはすべてを破壊する凶器。
木島の体中に突き刺さっている"付け焼刃"。
突然のことでうまく動けない部下達。武器を取り出すのが一瞬遅れた。
一方で恭治は反応していた。この場の誰よりも早く胸のデッキを取り出そうと動いていた。
が、ほんの一瞬、恭治は動きを止めた。脳裏に浮かんだのは一人の少女。それが彼にデッキを使わせる事をためらわせた。
ほんの数コンマの躊躇、それが致命的になる。 気がついたときには恭治の目の前で別の男が男がデッキを取り出し、容赦の無い攻撃を加えようとしていた。
あと一秒も満たないうちに恭治の体は貫かれるはず。だが、それでも恭治の体はすくんで動いてくれなかった。
――やられる。
思わず目をつぶった。
何人かの悲鳴が上がり、人の倒れる音。
しかし、恭治の体にはなにも起きなかった。
予想していた衝撃はいくら待っても訪れない。なぜ自分の身に何もおきないのか。なぜ聞こえた悲鳴は自分の知る誰のものでもないのか。
半信半疑のまま、恭治はゆっくりとまぶたを開いた。
その視線の先、頭を付けスラに貫かれ倒れ付す見知らぬ男達。そして傍らにはデッキを構えてたたずむ楠木がいた。
「楠木さん……?」
恭治は信じられない思いでその男を見つめた。昼行灯のあだ名が良く似合う男は、相変わらずの微笑みを顔に貼り付けたままだ。彼は手馴れた手つきで死体からカードを回収するとひと拭きしてデッキの中に戻した。
侵入者達はみな死んでいた。木島を殺した男も、封印を叩きこまれて倒れ伏している。
ひとときの緊張のあとの弛緩。安堵した男達が楠木のほうに近づいていった。誰もが窮地を救った英雄を称えている。
恭治もそんな彼らを見てようやく我に返り、楠木に近づこうとした。
楠木はニコニコしながら彼らの言葉を受け止めている。
彼の肩を叩いて賞賛の言葉を送っる仲間達。
その一人に、微笑みを浮べたまま、彼はデッキを突きつけた。
短いうめき。こぼれる血液。倒れこむ男。
呆然とする男達に楠木は容赦なく攻撃を叩きつける。その動きは淀みなく、そして的確に男達の急所を貫いていった。
その場のすべての男達が倒れ、残るは恭治一人だけになったところで、ようやく口を開く事が出来た。
「いったい……」
後に言葉を続けられない。起こったすべてが恭治の想像の範囲を超えていた。
「なにが起きたかわからないって? 俺は始末屋なのさ。上に逆らうやつらのな。そしてそいつらの上前をはねて俺は設けを得る」
「な……」
「じゃあ、木島を殺したあいつらは……」
「アレは本当に取引先の手下どもだ。向こうは向こうで濡れ手に粟と考えていたらしい。まあ、俺はそれを知ってて利用したってわけだが」
楠木は手札から転機を取り出してゴミ箱に送った。そして彼はデッキから一枚ドローする。その興奮にゆがむ顔。
――今はそんな気分じゃない。
彼がそう言っていたのを思い出した。それは言葉どおりの意味。そういう気分になれば心のそこからドローを楽しむ。いや、仕事をしている時がその時なのかもしれない。
楠木はドローが与える快感に酔いしれながら、けらけらと笑っていた。どんな気まぐれか知らないがこの男は自分を生かしてくれている。だが、それもすぐさま終わりを迎えるだろう。
なぜなら彼の正体を知る誰も、この場に生きていてはいけない。
恭治は決心を決め懐から己のデッキを取り出した。震える足を広げて真っ直ぐに立つ。そしてそれを目の前に真っ直ぐ構えその男に突きつけた。
それに気づいた楠木は唇の端をゆがめた。
「よせよせ。無理はするな。そんなに震えているくせに」
確かに、恭治は既にまともに動けないほど震えている。足から始まったそれは既に全身、指先にまで伝播していた。今のままでは七枚引くどころかジャンケンすらおぼつかないだろう。
「ドローを怖がっている奴に俺は撃てねえよ」
「!?」
「どうしてそれをって顔だな、見ればわかるさ」
楠木はカードをすべてデッキに戻してシャッフルをした。ゆっくりと楠木の左腕が上がっていく。
「おまえの言ったとおり、あの場でドローのひとつも決められないヤツは普通じゃないのさ」
上がりきった楠木の手にはデッキ。丁度恭治と鏡合わせのような形で立っている。だが、お互いの立場はまったくの逆だ。
「そう、ドローをしない奴は二通りしかない。ドローに見境がないくて自制する奴か、ドローを極度に恐れる奴か。そしておまえは後者だ」
楠木は一瞬の動きで七枚のカードを広げた。手札から降霊術を見せ、二枚ドロー。そしてキャラ展開。
「俺が先行でいいだろう? さあ、お前のエントリーだ」
楠木は恭治を舐めるように見回してくる。しかし、彼は動けない。カードを引く事ができない。初手に降霊術があれば恭治は打ってしまう。打ってしまったらどうなるのか。ドローに飲み込まれて帰って来れなかった少女、その姿が目から離れてくれない。
「どうした、少しは俺を楽しませろ! ザコどもとは違う、本当のデュエルを味あわせてくれ。それとも、俺のルミラに短距離走で引きずりまわされるのを黙って待つか?」
楠木は目を血走らせている。この男はもう完全に狂っていた。自分の仕事を忘れ、ただ快楽だけを追求する獣。
ソレはどんな言葉を投げかけても微かにすら動けない恭治を見て、ひとつ舌打ちをした。そしておもむろに女達の方を見据えると、近づいて一人の少女の腕を取って掴みあげた。
それは、妹に似たあの女の子。
少女は子供のように泣き叫んだ。
「コイツに何か思い入れがあるんだろ。惚れた女にそっくりってヤツか、そいつもドローし過ぎでぽっくり逝っちまった。そんなところか」
腕をつかまれ駄々をこねるように首を振る少女。十代半ばに見えるのが、まるで幼児のようなしぐさ。度重なるドローと陵辱で既に心は壊れているようだった。
「その子、をどうするつもりだ」
楠木をにらみつけながら、恭治は言葉を搾り出した。
「やっぱり気になるようだな。ちっとはマシな目つきになったじゃねえか」
「答えろ! どうするつもりだ」
「慌てるなって、命まではとらねえよ。ただ、ちょっと今までよりも強力なやつをぶち込んでやるだけだ」
そう言って楠木はポケットから数枚のカードを取り出した。それらのオレンジのカードにはすべてに巫女の格好をした女の子が描かれている。
恭治は息を飲んだ。
「そう、降霊術なんてヌルいドローじゃねえ。もっと痺れるやつを味あわせてやるのさ。効きは悪いが、いったん填まったら他のドローなんかの比じゃねえ快感。既にぶっ壊れたこいつに食わせたらどうなるか」
楠木は「ヒャヒャヒャ」と声をあげて笑った。しかし、声をあげながらも男の目は据わっている。その後しばらく君の悪い声を響かせあと、唐突にそれを止めた。
そしておみくじの束を握り締めると少女の持つデッキをその小さな手ごと掴んだ。
少女の泣き声が男の笑い声の変わりに響き渡った。
「まあ、そう騒ぐなって。いい夢見させてやるからよ。もっとも、夢しか見れなくなっちまうかも知れねえけどな」
泣き叫ぶ少女のデッキに無理やりおみくじを詰め込もうとする。暴れる少女。その手が楠木の顔にあたった。男の顔に数本の傷がはしり血が流れる。彼の顔から表情が消えた。
「いい加減にだまらねえか、このキチガイが!」
男はカードを握ったままこぶしを振り上げた。目はさっきまでの余裕のあるものとは違う。本心から殺意のこもったもの。
瞬間、恭治の体が動いた。
楠木の握られた手からおみくじが落ちた。なにが起きたかわからないまま、彼は自分の手を見つめる。手の甲にはハードスリーブに包まれたガセネタが刺さっていた。
楠木が少女の腕を払う。笑みを浮べ、見据えた先には恭治が右手に六枚のカードを抱え睨みつけていた。
「へっ、いい顔になったな。ようやくやる気になったかよ」
楠木は嬉しそうに言うと、改めて手札を構えた。
「待てよ。その前に引いたカードを手札に戻せ」 恭治は冷たく言い放った。
楠木が怪訝そうに恭治を見た。
「お前の降霊術にガセネタだよ。さっさとカードを戻して俺にシャッフルさせろ」
楠木の顔から一瞬毒気が抜けた。呆然と恭治を見つめ、そして大声で笑い出す。さっきまでの空々しいものとは違う心のそこからの笑い。
「ハハハ、いいだろう。本当は過ぎてしまったプレイなんだがな。特別に大目に見てやるよ」
ニヤリとしながら手札から二枚デッキに戻してシャッフルした。そして恭治に向かってデッキを放り投げる。
「機会も与えずに勝手に進めたのはそっちだ」
デッキを受け取りシャッフルをして返した。
「気に入ったよ。俺の感は正しかった。お前となら痺れるデュエルが出来そうだ」
改めてターンをエンドさせると、楠木の顔は今までと打って変わって真面目なものになった。
「さんざん楽しんだ後、礼に完膚なきまでに殺してやるよ、小僧!」
恭治は今も震える足を押さえつけ、臨時収入からキャラを展開させた。四体並べエンドを宣言。
「礼なんていらない。楽しむ余裕なんかお前には与えないからな」
後編に続く
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