2005年12月18日(日) 【追悼】仰木監督 |
さる12月15日に、元西鉄ライオンズの名セカンドとして活躍し、近鉄のコーチ・監督にオリックス監督として3度の優勝と1度の日本一を成し遂げた名将、仰木彬さんが亡くなりました。
80年生まれで物心ついたぐらいのころから近鉄のファンとなったオレにとって、監督といえば仰木さんであり、この訃報は大きなショックでした。
なんでも長い間ガンと戦っていて、2005年にオリックスバファローズからオファーがあったときにも、元チームメイトの豊田氏から体のことを考えるならやめておけと言われていたそうです。2004年の野球殿堂入りパーティーでも、自費で人を呼び集めて「殿堂入りパーティーを生前葬にする」と言っていたことや、「グラウンドの上で死ねたら本望」が口癖になっていたことを聞くと、いつ死んでもいいというような覚悟ができていたんだと思います。最期の最期まで野球人として生き抜いたことは、うらやましくもあり、哀しくもあります。
仰木さんといえば猫の目継投や日替わり打線といった、「仰木マジック」と呼ばれる独特の采配が有名ですが、グラウンドの内外でとんでもないエピソードの多い人間的な魅力に溢れていた人でもあります。
大の酒好きで、ビール片手にコーチ陣と激論を交わす姿がよく見られた 彼が朝必ずグラウンドを走っていたのは前日の酒を抜くため 選手に門限を課さない理由は、自分が真っ先にやぶるから ニュースステーションに出演したとき小宮悦子を本番中に口説いた 「イチローの打率は4割だがオレの夜の打率は5割以上だ」 イチローの語る仰木さん ・初対面(白エナメル靴で仰木さん登場)で球団の人と仰木さんと一緒に食事することになって時。「(仰木さんが腰をかがめたら)ポケットから札束がぼとぼと落ちて、アワアワ言いながら拾ってましたよ。」 ・メジャーに行きたいと仰木に話した時。「居酒屋で話したんだけど、『だめだ、イチロー行くな』って言うから、ちょっと酒足んなかったかなと思って、後日もう一度誘って、今度はガンガン飲ませたら『行け行け、イチロー行ってこい』だって(笑)」 ・アリゾナキャンプ見学といいつつ上半身裸で気持ちよさそうに寝そべりながら「イチロー、サインしてー」と観客席から仰木さん。フェンス越しに僕と仰木さんが話しているのを見てこっちのファンが『大変だ、イチローが日本のヤクザに脅されている』と心配してたとのこと。
などなど、逸話には事欠きません。とにかく豪快な人で多くの人に愛されていました。監督時代にほかのコーチや選手と起用法でもめることもあったようですが、選手自身のことについては人一倍気にしていたようです。近鉄時代、酷使してしまった阿波野選手についても「自分が彼の選手寿命を縮めてしまった」と漏らすこともあったり、平成元年の優勝時に胴上げ投手が阿波野選手だったことに不満を漏らした吉井選手についてもも、自由契約になったところをチームに拾い上げるといった男気のある人で、そこが慕われていたのではないかと思います。
2004年に10・19戦士である鈴木貴久さんが亡くなり、近鉄球団が消滅しました。そして仰木さんが亡くなり、ひとつの時代が終わりを告げたような気がします。それは寂しいことですが自然の流れでもあり、いつかはいい思い出に変わっていくことでしょう。彼が愛したチーム、そして野球界がどこへ向かうのか、いちファンとして見守っていければと思います。まあ、正直言って清原、中村ノリのオリックスの補強が気にいらなかったりするのですが(笑)。 |
|